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蛾類学会コラム7 「なに食ってるか分からない蛾」を飼育して実験材料にする(1) 幻の蛾、カバシタムクゲエダシャク

松井悠樹・中 秀司(鳥取大学農学部)

 

日本には約300種の蝶が生息しており、その全てで「幼虫が食べる餌」が解明されています。例えばアゲハチョウの幼虫ならミカンやサンショウを、オオムラサキの幼虫ならエノキやエゾエノキを食べることが分かっています。一方、日本には6,500種を超える蛾が生息するとされていますが、これらの約半数は、未だに幼虫がどこにいて何を食べるのか分かっていないのです。このコラムでは、私たちが幼生期を解明した蛾たちについて、どうやって餌を見つけたのか、幼虫を飼育して何をするのかをお伝えしたいと思います。第一弾はかつて「幻の蛾」とされた、カバシタムクゲエダシャクの幼生期解明にまつわる話です。

カバシタムクゲエダシャクという蛾がいます。かつては新潟、栃木など東日本の数地点と、韓国からの採集記録があるだけの蛾で、年に一度早春に出現すること以外が何も分からない、まさに「幻の蛾」でした。もう国内からは絶滅してしまったのではないかと思われていた中、転機は訪れました。2016年3月17日、学会員の矢野高広氏と中島秀雄氏が栃木県の鬼怒川河川敷で本種 ♂を再発見し、その翌日に中島氏と阪本優介氏がニセアカシアとネムノキの幹に産卵中の ♀を発見するに至って、「少なくとも鬼怒川河川敷では」本種は生きながらえてきたことが示されたのです。 ♀は29年ぶり、 ♂に至っては53年ぶりの記録になります。

しかし、ここには大きな問題がありました。本種はあまりにも雌雄の姿が違うこと、誰も交尾中の姿を見たことがないことから、この雌雄が本当に同種の雌雄なのかが分からないままなのです。

この真偽を確認する方法は2つあります。1つは、前述の卵塊を持ち帰って飼育し、次世代の成虫を羽化させることです。もう1つは、採集した雌雄からDNAを抽出してその塩基配列を解読して、配列が一致するか否かをみることです。できることなら両者が揃えば完璧なのですが、後者に比べて前者は難易度が極めて高くなります。後者(DNAの解析)は共同研究者に任せて、私たちは前者(飼育)に挑戦しました。中島・阪本両氏が発見した卵の一部を持ち帰り、私たちを含む数名で飼育を試みたのです。

「なに食ってるか分からない蛾」の餌を解明するには、近縁種の幼虫が食べている餌から類推するのが一番の早道なのですが、本種はそもそも、見た目だけでは世界中のどのシャクガと近縁なのか想像すらできないため、近縁種の餌から幼虫の餌を推定することができません。そこで今回は、「成虫が採集された環境」「過去の失敗例」「幼虫が孵化する時期」「孵化した初齢幼虫の出で立ち」の4つを手がかりとして、幼虫の餌を類推することにしました。

 

成虫が採集されたのは大河川の河川敷で、幼虫は野外に準じた条件だと3月末~4月上旬に孵化することが分かっていました。この時期に芽吹いていない植物は、もし本種の幼虫が(大部分のシャクガ科昆虫と同じく)植物の生葉を餌にするのであれば、寄主植物として利用することはできません。例えば、中島・阪本両名が ♀と卵を発見した2種のマメ科植物(ニセアカシア・ネムノキ)は、ともに萌芽の時期が遅い植物で、本種の孵化には間に合いません。幼虫が草本を寄主植物としているのであれば、この時期にはタンポポ、オオイヌノフグリ、各種イネ科雑草など案外多くの植物が葉を出していますが、これらの大部分は過去に「幼虫が食いつかなかった」失敗の記録があるものばかりでした。次に、木本を寄主植物とするのであれば、この時期・この環境で入手できる植物は数種の常緑樹のほかに、半常緑のスイカズラやイボタ、もしくは芽吹きが早いツルウメモドキ、針葉樹のクロマツなどに限られます。また、可能性は低いですが、初齢幼虫が枯れ葉を餌とする可能性も残っています。

 

Fig. 1 カバシタムクゲエダシャク1齢幼虫。1齢幼虫はニシキギ及びツルウメモドキの新芽を好むが、孵化後1~2日は何も食べず容器内をさまよい歩く。飼育時は天井に新芽がかぶるようツルウメモドキを入れ、明るい環境で食いつきを待った。

そこで私たちは、過去に幼虫に与えられた記録がなく、かつ幼虫が孵化する時期に餌として利用できそうな植物として、スイカズラ、ノイバラ、ツルウメモドキ、シダレヤナギ、タチツボスミレ、ヤエムグラ、カジイチゴ、クロマツ、ネザサの一種の9種を幼虫に与えました。ちょうどその頃、学会員の飯森政宏氏が一足先に幼虫を孵化させており、卵から出たばかりの幼虫写真を阪本氏経由でお送り頂きました。その姿から、(阪本氏はチャエダシャクに似ていると語っていたが)私たちはヒロオビトンボエダシャク、もしくはヒメマダラエダシャクの幼虫を想像しました。この2種の類縁性は定かではありませんが、奇しくも両種はともにツルウメモドキを寄主植物としていたのです。幼虫の写真を見るまで、私たちの中では本命ヤナギ、対抗馬スイカズラという気持ちだったのですが、それが一気にツルウメモドキに傾いたのです。筆者の一人、中は、同年3月23日の時点では「本命ヤナギ、次点スイカズラかなあ」と阪本氏に(Facebookのメッセージを)送っていますが、前述の写真への返信として、同年3月31日に「なんか写真の幼虫はツルウメモドキとか食いそうな出で立ちですが、今のところどうですか?」と送っています。

 

Fig. 2 カバシタムクゲエダシャク終齢幼虫。中齢以降の幼虫は、マユミ・マサキなど野外で幼虫が好まないニシキギ科植物も代用食となる。

で、結果はどうだったのでしょうか。詳細は[中島秀雄・阪本優介・松井悠樹・中 秀司, カバシタムクゲエダシャクの幼生期,  TINEA Vol. 23, No. 6,  2017]を読んで頂くとして、孵化した幼虫は見事ツルウメモドキに食いついてどんどん大きくなり、やがて蛹になったのです。「成虫が採集された環境」「過去の失敗例」「幼虫が孵化する時期」「孵化した初齢幼虫の出で立ち」から、正解を導き出すことに成功しました。その後、本種の幼虫が野外からも発見され、野外ではニシキギとその変種コマユミ、そしてツルウメモドキを寄主植物としていることが明らかとなりました。本種の幼虫は、野外でも私たちが発見した「餌」を食べて育っていることが証明されたのです。加えて、幼虫の姿が分かったことで、鬼怒川流域以外の新たな生息地が発見されるに至りました[中島秀雄, カバシタムクゲエダシャクの新産地, 蛾類通信 No.282, 2017]。
得られた蛹は、そのまま夏~秋~冬を越して翌年の早春に羽化しました。蛹からはカバシタムクゲエダシャクとされた ♂、同 ♀がともに羽化し、同種であろうと考えられてきた雌雄が本当に同一種の雌雄であることが確認されたのです。

 

Fig. 3 羽化したてのカバシタムクゲエダシャク♂

現在私たちは、採集が極めて困難な本種の生息調査を容易にすべく、本種の ♀が分泌するフェロモン成分の分析を進めています。本種を含む蛾の多くは、 ♀が尾端にあるフェロモン腺から性フェロモン(交尾相手を呼ぶためのフェロモン)を分泌し、 ♂がその匂いに呼び寄せられて交尾に至ります。中島・阪本両名をはじめとした会員各位の精力的な調査によって、蛹から羽化したばかりの未交尾 ♀を生息地に持っていくと、晴れた日の午前中には、 ♀が出す性フェロモンに ♂が呼び寄せられることが分かってきました。この成分を化学的に分析し、工業的な手法で合成してゴムキャップなどの担体に吸着させることで、生きた ♀なしに ♂を呼び寄せる誘引剤(フェロモンルアー)を作ることができます。もし本種の性フェロモンを吸着させたフェロモンルアーを作ることができれば、新たな生息地を探し出し、本種の生息状況を詳細に調べることが可能になります。私たちは、本種の生息状況を把握し、生息環境を理解することが、本種の保全に大きく寄与することと考えています。

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Last update: 5 Apr, 2018